スキーツアーのことがよくわかる

マメ知識

ここぞ!と言うとき、得意気に語りましょう。

スキーの伝来

テオドール・エードラー・フォン・レルヒ

日本では1911年、オーストリアのデオドール・エドレフ・レルヒ少佐が現在の上越市で行ったスキー講習会から伝わったと言われています。

第2回冬季オリンピックのサン・モリッツ大会より参加した日本勢でしたが、当初は世界の壁に阻まれ、なかなか入賞には至りませんでした。
近年では各種目で活躍する日本人選手も増え、世界にその存在感を見せつけています。

スノーボーダー

レジャーとしてのスキーは、1972年に開催された札幌オリンピックを発端に、空前のスキーブームを巻き起こしました。1987年に公開された映画「私をスキーに連れてって」のヒットとバブル景気が相まって、スキーブームは社会現象にまで発展しました。
バブルの崩壊とともにスキーブームは終焉を迎え、スキー人口は年々減少していたものの、2000年代に入ってスノーボードが若者を中心に流行し、再び冬のレジャーとして人気が高まっています。

スキーの歴史

現代版かんじきのスノーシュー

スキーの歴史は非常に古く、紀元前2500年頃には既に存在したという説があります。
但し、現在のようにスポーツとして楽しむのではなく、主に北欧や中国の山間部などで狩りをする際に「かんじき」のような役割を果たしていたと言われています。

1800年代前半、ノルウェーのスキー部隊が訓練の成果を競い合ったことが発端となり、競技に発展。徐々に一般市民にも浸透し始めました。

シャモニーオリンピック

1924年、フランスのシャモニー・モンブランで第1回冬季オリンピックが開催され、現在ではアルペン、ジャンプ、クロスカントリー、ノルディック複合、フリースタイルに加え、スノーボード競技も正式な種目となり、世界各国の名選手が集う4年に一度の祭典として盛り上がりを見せています。

ハンネス・シュナイダー

野沢温泉スキー場

1930年オーストリアから講師として来日し、野沢温泉を中心にスキーの指導を行った人物です。
日本のスキー技術の進歩に多大な影響をもたらした人物で、日本に初めてスチール・エッジを持ちこんだ人物でもあります。
当時シュナイダーが模範滑走を行った野沢温泉の斜面を「シュナイダー・スロープ」と名付け、現在もその功績を称える象徴として残されています。

日本スキー博物館(野沢温泉スキー場)

帰国後、母国オーストリアでスキー学校を創設し、精力的に指導を続けていましたが、1937年に起きたナチスドイツのオーストリア併合に反対し、一度は収監されてしまいます。
短期間で釈放されたものの、スキー講師の免許を剥奪されたシュナイダーは、アメリカに亡命することになりました。
アメリカ陸軍の山岳兵に教官としてスキー指導を行ったのち、新たにスキー学校を創設し、晩年の65歳まで生涯を通してスキー指導に尽力しました。

「アルペンスキーの父」として各国のスキー発展に貢献した偉大な人物です。

スノーボードの伝来

初期のボードは先端に紐付きが主流

日本国内においてスノーボードやスノーサーフィンが現れたのは1970年代後半。当時は競技人口も少なく、その存在さえ知られていませんでした。ボードはスチールエッジや高分子プラスチックソールなどスキーと同様の構造になりました。バインディングや専用ブーツなども急速に改良されより一層、競技への関心も高まりました。

1983年頃には北米スノーボード協会にリンクする形で、世界初の国協会として日本スノーボード協会が発足。同時期に日本スノーサーフィン協会も発足し、第一回全日スノーサーフィンチャンピオンシップが開催されました。1987年には日本スノーボード協会が日本スノーサーフィン協会を吸収合併し、国内の活動を一元化、各地区大会・全日本選手権大会を毎年開催し、新しい滑走技術の向上に努め、急速に改良される用具とともに発展してきました。

近年では、ウィンタースポーツのひとつとしてメジャー化しつつあります。

スノーボードの歴史

今や人気のウィンタースポーツに♪

スノーボードの歴史には諸説ありますが、現在一般的に言われているのは、1960年代にアメリカのミシガン州で生まれたとされています。1970年代前半、スケートボードの車輪の代わりに1枚の滑走体を取り付けて雪面を滑走するものや、サーフィンのようにフィンがついているものもありました。

「スノーボード」という名称は、アメリカとカナダを中心とした北米スノーボード協会発足時、サーフィン、スケートボード、スキーでもない全く新しいスポーツのジャンルとして「スノーボード」という名称に統一した事が由来とされています。

1990年代に入り、当時の若者に人気があったスケートボードのイメージと重なり、爆発的ブームとなって産業として育っていきました。1998年の長野冬季オリンピックからは、アルペンスタイルのパラレル大回転、フリースタイルのハーフパイプが、2006年のトリノ冬季オリンピックでは、スノーボードクロス(ボーダークロス)が正式種目となりました。

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