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日本にスキーを伝えたレルヒさんって?

  • 公開日:2021.12.12
  • 更新日:2022.08.26
テオドール・エードラー・フォン・レルヒ

実はスキーには長い歴史があります。 ここ200年くらいの間でとても進化を遂げたスキーですが、発祥国は北欧だと言われています。
日本にスキーが入ってきたのは明治44年(1911年)とスキーの全体的な歴史から見れば、わりと最近の出来事といえるでしょう。
それではどのようにして日本にスキーが伝わってきたのかを今回は紹介していきます。

世界的なスキーの歴史

歴史上で最も古いと考えられているスキーは、紀元前1万年〜紀元前2500年頃に移動や狩猟のために使用されていた、木の板のことだと考えられています。 つまり冬の移動手段として、スキーのようなものを使用していた、ということです。
この時点では、現在のようにストックを持って2枚の板を使用して滑っていたわけではありません。
その後、スキーは軍事目的で使用されるようになってきました。 1769年ノルウェーで初めてスキーの競技大会が開催され、スポーツという認識のスキーが誕生しました。
スポーツとして認識され始めてからは、現在のスキーの原型ができ上がってきています。
1900年代以降は、目まぐるしいスピードでスキーの技術が発展していったために、当然スキー用具も進化していきました。
スキーの発展に伴い、モーグルやスノーボードなども海外では普及していったのです。

日本にスキーが伝わった理由

今では当たり前のようにスポーツとしておこなわれているスキーですが、日本には1911年(明治44年)に初めて伝わりました。
スキーが伝わる約10年前には「八甲田雪中行軍遭難事故」という、痛ましい雪山での遭難事件が発生しています。
原因としては、天候悪化はもちろんのこと、資材を運んだりするソリの装備の難しさや炊事作業の困難など、あらゆる悪い要因が重なったことです。 最終的に210名いた行軍が1名しか生き残れなかった、という大事故となりました。
この事故のお見舞いとして、1909年にノルウェーの国王・ホーコン7世がスキー板2台を明治天皇に進呈します。
ただ、ここがきっかけにスキーが浸透していったわけではありません。

その2年後、1911年にオーストリア=ハンガリー帝国の軍人のデオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐が来日します。
まさしくレルヒ少佐こそが日本にスキーを本格的に持ち込んでくれた人です。
レルヒ少佐はアルペンスキーの創始者のマティアス・ツダルスキー氏の弟子でもあり、とてもスキー技術の長けた人でした。
八甲田遭難事故の辛い経験から日本陸軍はレルヒ少佐のスキー技術に注目し、新潟県の高田でスキー技術をレルヒ少佐から教わったのが1911年ということです。
その際は、すでに2本のスキー板にストック1本というスタイルで伝わり、それからもレルヒ少佐は北海道など日本各地でスキー指導をおこないました。
レルヒ少佐が日本にスキーを伝えたので、徐々に日本国内でスキーが普及し始め1923年には第1回の全日本スキー選手権大会が小樽で開催されるなど、とても人気なウィンタースポーツとなったのです。

レルヒ少佐が日本に最初に伝えたスキーとは

レルヒ少佐は、1本ストックで2枚のスキー板で滑る方法を伝授しましたが、その方法は「リリエンフェルト式スキー術(別名:オーストリア式スキー術)」と呼ばれるもので、日本の地形を目にしたレルヒ少佐が当時世界の主流だったノルウェー式ではなくて、山岳スキー術のリリエンフェルト式を教えたとされています。
それぞれの国によって地形の特徴が違うので、レルヒ少佐は的確に日本に向いたスキー術を教えてくれたのだといえます。
だからこそ、スキーは日本でも人気が出て一般的なウィンタースポーツになったといえるでしょう。
スキーは全身を動かす運動なので、体力が付きますし魅了的なスポーツです。
現在、私たちがスキーツアーを楽しめるのはレルヒ少佐のおかげですね。

この記事を書いた人

スノコミ 編集部

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